【あなたが演劇を観に行かない理由】
先日、ツイートした【あなたが演劇を演劇を観に行かない理由】は皆様のご協力のおかげで最終投票数99,234票でした。
改めて、投票してくださった皆様、リツイートしてくださった皆様、本当にありがとうございました。
画像を見てわかるように一番多い理由が【そもそも演劇に興味がない】
投票してくださった方のうち、39,693人が興味がないという結果です。
投票してくださった皆様の意見でいくつかあったのですが
「この投票って意味あるの?」
「選択肢が少ないと思う」
「商業と小劇場で違うんだから答えたところで意味ないよね」
その意見をたくさん頂けるくらいにこのツイートが広まったことが本当に意味のあることだと僕自身思っています。
Twitterの仕様上、選択肢が4択ということに少ないと思わせてしまった方には申し訳ないです。
実際、この4択でとれた投票結果にすごく意味があるかと言われればそうではなく、まだ演劇に関してざっくりとした統計を取ったに過ぎないと思います。
それよりもこのツイートのリプ欄に本当に貴重な意見が詰まりまくっています。
アンケート自体が4択で選択肢がなかったからとリプライをくださった皆様、本当にありがとうございました。
そのリプライから抜粋させていただいて皆様が演劇に対して思っていることをまとめていきたいと思います。
その中でも一番多かったのがこれ。
▼フライヤーから読み取れる情報が少なすぎる
- どんな舞台なのか一切わからない
- あらすじも載っていないものがほとんど
- その舞台はどんなジャンルなのかわからない(コメディ、サスペンス、SF)
- 場所はどこでやってって、チケットはどう買えばいいかわからない
- 演出、脚本が誰とか正直どうでもいいから内容面を知りたい
- 公演のHPを作れば新規の方にもわかりやすいと思う
その流れで皆様の意見として多かったのが
▼面白いかどうかもわからないものにお金を払えない
- 内容に対して安心がないものにお金は払わない
- 逆に間違いないと思える作品(劇団四季、原作がある2.5次元)にはお金を払える
- 映画の予告編みたいに内容がわかる何かがあると嬉しい
- 前回公演のサンプル動画なんかがあると嬉しい
- 演技力があるかもわからない役者の舞台は観たくない
- ネタバレダメなことが多いので口コミを調べられない
裏を返せば、内容がしっかりとわかって面白いかわかればお金は払えるよということ。
そんなの当たり前のことですが、商業ならまだしも排他的な演劇コミュニティでどうすれば当たり前のことが出来るのか。
演劇に関わる一人一人が考えていかないとこの問題って変わらないんだろうなと思います。
ここからは頂いたリプライから僕なりにまとめたものを列挙していきます。
▼コミュニティが閉じていて排他的な印象を受ける
- 身内ノリがひどい
- 終演後に演者に感想を伝えたいけどファンが周りにいて怖い
- 初見で演者に話そうとしたらファンに拒まれた
- 演劇の文法みたいなものがわからない
- 演劇のことをしらないと馬鹿にされそう
- マナーがわからない
- ノルマ的な感じで誘われるのが嫌だ
▼地方に住んでいたり、子供がいて観に行くことが難しい
- 交通費、宿泊費を考えると高い
- 移動する時間を考えるといけない
- 地方公演が少ない
- もしも住んでいる土地で地方公演があれば観に行きたい
- 子供がいて観に行けない
- 子供禁止のところが多い
- 子供を預けれたら観に行きたい
▼演劇というものに縁がない
- 情報の調べ方がわからない
- 敷居が高いイメージがある
- お金がないんじゃなくて観に行くモチベーションがない
- 知り合いがいたりしないと行こうとは思わない
- 興味のあるもの(アニメ、ゲーム)でないと行きたくない
▼最初に観たものがつまらなかったから二度と行かない
上記のような意見が目立っていたように思います。
あとは少数であったのが
-
ダブルキャストの組み合わせが複雑なので見たい人休みが合わない
- 役者は芝居のプロであって広告のプロではないからそこを外注しては?
-
情報を知った時にはチケットが売り切れていることが多い
-
好きな演者が出演するかどうか
-
公式でいい席のチケットが売れているのに転売サイトでは大量に上がっている
重複チケットを避けるシステムも必要なのかと思う
-
義務教育での演劇教育の導入をしないと演劇人口は増えない
- 聴覚に障害があるので字幕なしの演劇を見てもわからない人もいるということを知ってほしい
-
毎月のように告知のメールが届いて「ごめんなさい。行けないです。」返信をするのが辛くなってしまったから
-
つまらなくても途中退席が出来ない
-
退屈でもスマホを取り出せない
-
アンケートがあるにもかかわらずペンすら置いていない
-
座席の居心地が悪いのでお金を払って観に行きたくはない
-
少し高くてもいいからゆったりとした席があると嬉しい
-
面会よりもトークショーならみたい
-
演劇と言われると観たくない。芝居なら観たい
-
商業演劇はチケットが完売している
-
出演者>内容
-
小劇場はつまらない印象しかない
-
素人に毛の生えた役者がやっているお遊戯会なんて見たくない
-
舞台って公演されているところまで自ら動いているっていう行為のハードルが高い
-
ギャラが発生しない時点で「ビジネス」ではないので責任をもった営業ができないんじゃないだろうか
- ストレートの演劇や芝居を見るとなぜか異様に小っ恥ずかしくなってしまい見ていられない
頂いたリプライをまとめるとこのような結果になりました。
どうすればいいか。それは演劇に関わる人たちが少しでも考えていかなくてはいけないことなのかと思います。
そして最後に観に行くようになった理由もいくつかあったので書いておきます。
▼観に行くようになった理由
- テレビで舞台の放送をみた
- 友達に観劇に誘われた
- 知り合いが舞台関係者だった
- 街で見かけたフライヤーがかっこよかったからなんとなく行ってみた
- 好きな役者さんが舞台に出たから
演劇関係者の皆様、演劇が好きな皆様、そしてまだ演劇を観たことがない、観に行かないという皆様のとって少しでも参考になればと思います。
アンケートにご協力いただいたすべての皆様、この記事を見てくださったすべての皆様
改めて、本当にありがとうございました。
毛なし暮らし、始めました。
初めに
この文章はコンプレックスを馬鹿にするものではありません。
コンプレックスを強みにするということ。
自分の生き様に胸を張るということ。
どうも岸本です。
新年度も始まり、新しい生活に心を躍らせながらウキウキしている人が多いんじゃないでしょうか?
何を隠そう僕もそのうちの一人です。
そのウキウキした新生活を始めるにあたって僕は美容室に来ています。
なんだ、新生活を始めるにあたって髪を切りに来たんだろう?と思った皆様。
半分正解ですが半分ハズレです。
突然ですがこの度、タイトルにあるように
「毛なし暮らし、始めました。(始めます)」
??
毛なし暮らし?
そう、毛のない暮らしを始めることにしました。
つまり、髪の毛を刈ることにしました。(いや、剃ることにしました。)
一見したところ髪の毛がふさふさに見えますが、ここ1年ほど前頭葉のあたりの髪の毛が寂しくなっていることに悩まされています。
はい、禿げてきています。
(※ちなみにこの髪の毛は天パなので地毛です。)
齢27歳のアラサーに差しかかろうという僕の最大の悩み
- 髪の毛が日々、後退している
- 毎日、お風呂に入るたびに抜け毛が気になる
- 薄い個所を見せたとして、みんなが笑って対応できる許容値を超えている
こんなことに悩んで生きていてもつまらない。
ハゲてきている髪の毛を隠して生きていくより、いっそのこと剃ってしまった方がカッコいい!
全てをさらけ出していこう。
その結論に至った僕は薄毛が気になり始めたころ(1年前くらい)から時期を見計らってしようと思っていた髪型にすることにしました。
それがこれ
(岸本がささっとペンタブで描いたので原作ファンの皆様すいません)
このラーメンマン先生がやっている髪型、辮髪にすることにしました。
理由はただただカッコいいから。
即断即決ですね。
確か、映画ではジェットリーさんやガクトさんもしてましたね、辮髪。
それでは早速、辮髪にしていきます。
やっとこの伸び切った髪の毛ともおさらばする時が来ました。
別アングルからも髪の量をお届けします。
しかしこう見ると長いね。
こんなにボサボサですが、お風呂に入ると濡れたプードルみたいにボリュームがなくなって小さくなっていました。
もう鏡の中のプードルとも会えないかと思うと少しの寂しさを感じてしまいます。
自分で自分のことプードルって言うなよと思ったみなさん。
愛くるしいプードルとは程遠い、むさくるしい存在だということは僕が一番感じています。
……
それでは!バリカンをいれてもらいたいと思います。
一度、真ん中を刈ったら写真を撮りたいので止めてもらうことにしました。
もうこのあたりでは髪の毛がなくなることにテンションが上がってしまい自分を見失っていましたね。
同級生とのカラオケで「流行った曲歌っていこうぜ!」の流れになった時、みんながラッドやゆずを歌う中、意気揚々とPENICILLINの「ロマンス」を熱唱して、終わった後に場がしらけていた時くらいには自分を見失っていたように思います。
(僕はPENICILLINさんの「ロマンス」大好きです。)
本当に自分を見失うってどれほど怖いことなのか皆さん、肝に銘じておいてくださいね。
「はい、じゃあいきますよー」
(ご想像でお楽しみください)
ブイーン(バリカンを入れる音)
ジョリジョリジョリ(髪の毛がなくなる音)
ー剃り終わりー
!?
「そうだ俺、ハゲてたんだ…」
鏡を見たら目の前に映る落ち武者を無た時の絶望感。
髪の毛がある時はわからなかった思いのほか薄いという事実。
その二つが僕の顔に虚無感を塗りたくりました。
分かりにくい方のために
(※薄毛が苦手な方は細めにして少し読み飛ばしてください。)
ドン!
ドーン!!!
(集中線、描くのって難しいんですね)
これはキてる。
相当、キてる。
本当に草木が枯れ果てたサバンナくらいにキてる。
目を開けるとそこには殺伐とした光景が広がっていました。
この殺伐とした余韻をもう少し楽しみたいところでしたが、僕の心が刻一刻と失意の底に落ちていくのを感じたのでどんどんいってもらうことにします。
気を取り直して。
ウイーン(バリカンが動く音)
ジョリジョリ(髪の毛がなくなる音)
バリバリ(さらに髪の毛がなくなる音)
ー終了ー
おお!先ほどの絶望的な状況からは想像もつかないほどいい感じになってる。
ほんとめちゃめちゃカッコいい!!
スタイリストさんさすがです。
切った髪の毛たち
ここまではスタイリストさんにお任せしてあとは自分でやります。
※免許的に理容師さんは剃刀で髪の毛が剃れるけど美容師さんは剃れないため。
そして、綺麗に残った髪の毛を剃った跡がこちら
はい、ツルツルになりました。
これが僕が望んでいた辮髪
なかなか街中でこんな髪型の人を見ないから心の中でガッツポーズをしています。
もう最高です。
ただ、光でわからないですが普通に禿げている個所はわかります。
それでもここまでやってしまったらもう誰にも気を使わせずに済む。
満面の笑みで記念撮影
刈った髪の毛を我が子のように見つめる岸本
二人で記念撮影
誰も踏み入ることのできない二人だけの世界
二人だけの世界…
??
あれ?
ちょっと待って。
手に持ってるのタケノコ?
さっきは我が子のようだと言ったけど、髪の毛がタケノコにしか見えなくなってきた。
もうタケノコじゃん!
実家の裏の山に生えてる採れたてぴちぴちのタケノコじゃん!!
可愛い我が子もタケノコにしか見えなくなったのでもうタケノコにしました。
タケノコとの記念撮影
こうして無事に「毛なし暮らし、始めました。」
ここでブログを終わろうかと思いましたがこれだけでは何か物足りなかったので後日、染め直してしっかりとした写真を撮ってもらいました。
なんかすごい職人感ある
夕日に見つめられる辮髪
オレ、俗世を捨てようと思う
最後のは本当に奇跡の一枚。
俗世を捨てにかかってる。
本当に素敵な写真が取れました。
ご協力いただいた皆様、本当にありがとうございました。
というわけで素敵な写真も一杯撮れたし、辮髪にして「毛なし暮らし」もスタートした記念に
「毛なし暮らしカレンダー」を毎月ネットにUPしていきます。
毎月、その月ごとの写真を携帯の待ち受けになるようにカレンダーにしてお届け!
このブログを見た人から「誰がほしいねん」って野次がとんできそうだけど、僕はみんなほしいと思ってるよ?
「毛なし暮らしカレンダー」は毎月24日に僕のTwitterにをあげていきますのでお楽しみに。
今月は4月24日に5月分のカレンダーをあげます!
以下のサンプルと4月分はまたTwitterにあげますね。
サンプルはこんな感じ。
1月
2月
3月
そして、4月以降も出来ましたよー!!
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
こんな感じで毎日、僕の頭とおはようできます。
最高でしかないね。
なんだか、画像編集して楽しくなってきたから自分の描いたイラストを頭の上に集合させました。
阿鼻叫喚が聞こえてきそうな地獄絵図
これにて本当に無事に
「毛なし暮らし、始めました。」
本当に読んでくださった皆様、長いこのブログにお付き合いありがとうございました。
本当に少しでも面白かったとか何か感じてくださることがあればTwitterなどSNSでシェアしてくださるとありがたいです。
最後に
髪が薄いとかハゲてるとかそんなん気にしてても始まらない。自分に自信がないとか毎日が楽しくないとかコンプレックスがあるとか、モノは考え方でそれを楽しめるかは全部自分次第。そんなん後ろ向きなことなんか考えてる暇あったら自分の生き方に胸を張って生きていきたい。誰になんと言われようが、誰に批判されようが、誰かに冒険はやめたほうがいいといわれてもそれは自分の人生。
ダサいといわれようが自分がカッコいいと思う方を選べばいい。
このブログを読んでくださった皆様が自分の生き様に胸の張れる人生を歩んでいかれることを願っています。
僕は僕のスタイルを貫いていく。
こんなハゲた男は「しゃべりとクリエイティブを仕事にしています」
基本はゆるくで時々熱く、ええ塩梅に生きてます。
今後とも岸本学をご愛顧のほどよろしくお願い申し上げ
3月も最後の日だというお話
どうも岸本です。
長い月日がたち1年ぶりくらいにブログを書いています。
新年度も始まるので久しぶりにブログでも再開しようかと思う今日この頃。
今年度は本当に言葉では言い尽くせないくらいのことがたくさんあったように思います。
絵描きを本格的に始めて個展を開いたり
渋谷でMCをがっつりはじめたり
ありがたいことに今年度は個展を3回やって名古屋でも個展を開くことが出来た。
本当に協力してくださった皆様、僕のことを応援してくださる皆様に本当に感謝の言葉しかないです。
本当にありがとうございます。
こうやって支えられているのだなと感じた1年でした。
だが忘れてはいけない。
一番大きな出来事はそうこれ。
骨折しました。
執刀医の先生が初めて見るくらい鎖骨が複雑骨折しておりました。
バキバキでした。
この写真を改めてみて思うが、骨折したのに病室から爽やかな笑顔(?)を振りまくのは本当にやめていただきたい。
そして病人なのにモデルみたいな立ち方をするのも本当にやめていただきたい。
骨折した理由は深く書かないでおくが本当に焼酎の5合瓶をあけたりするような飲み方はやめようと心に誓いました。
学生かよ。パリピが怖いとか言ってってパリピみたいなことをしていた昔の自分を殴りたい。
本気で反省しております。
関係者各位、ご迷惑をおかけし、この場を借りて改めて申し訳ありませんでした。
27歳で初めての手術をしたわけですが傷口が感染したりなんやらで合計3回手術しました。
27歳にして手術の痛みが分かった僕にはもう怖いものはありません。
骨折して一番つらかったのはリハビリ
退院して腕をあげようとしたら小学生が母親にお駄賃ちょーだいと言わんばかりの角度しか手が上がらない。
そして血行が悪いから四六時中、手術箇所が痛い!
もうこれは自業自得なので悪いのは自分だと胸を張って言えるから耐えるしかないけど本当に何度も思うが酒はやめようと心に誓った出来事でした。
お酒はほどほどにね。
今年度はMCしてデザインして絵を描くフリーランスとしてのキャリアがスタートした岸本ですがこんな岸本を新年度も宜しくお願い致します。
義理だチョコだとそんなのは失礼だというおはなし
バレンタインの話をしようと思った2にちが過ぎてしまった。
皆様は最愛の人にチョコを渡したり、もらったりしましたか?
ちゃんと告白は出来ましたか?
どうでもいいけど付き合い上、チョコを渡さなくてはいけない職場の方々に義理チョコは渡せましたか?
僕はもらったかって?
そんなの決まってるじゃない。
母上からバレンタインが送られて来ましたよ。
ありがとう母ちゃん!
ありがたいオカン!!
ありがとうございますお母様。
そんな感じのいつもと変わらぬバレンタインを過ごしたわけだ。。。
まだ今年いっぱい受け付けているよ。
義理チョコでもいいからおくれよ。
そんな悲しい男の非常にまで無情な声は誰にも届かぬままそこらへんの道端に転がっていくのは目に見えている。
だが、言ってみなければわからないではないか!
もしかしたら、2月末に怒涛の義理チョコ連打が来るかもしれない。
まさに世は大義理チョコ時代!!
・・・・・・・
かっこ悪さしかないのである。
ところで義理チョコを渡す女子たちの精神状況がどうなっているのかすごく気になる。
義理チョコを渡すにしてもお金という資本主義経済が生み出した、慣習が付きまとうことになる。
しかも、義理チョコとはいえ!
大して興味もない男とはいえ!
プレゼントをするわけだ。
少しは何を送ればいいのか?
そんなことを考える時間もあるだろう。
その考える時間と買いにいく手間となけなしのポケットマネーを使って女子たち!いや、淑女たちはチョコレートを買いに行くのである。
男性諸君、そんなにあなたのことを思って義理の気持ちを渡してくれる女子たちはなんて素晴らしいのであろうか。
つまりだよ。つまり、義理チョコを貰えないというのは女子たちと上手な人間関係を築けていないのではないだろうかと思うのだ。
さあ!君はなんか貰った?
僕は母上からいただいた1つである。
今後、日頃から淑女たちには可愛いよー。もうほんと可愛いなどと思ってもいないことをいう努力をしていきたいと思う。
ではまた会いましょう。
バレンタインと人間関係は密接だというおはなし
久しぶりに現れました。岸本です。
寒さが身に応える2月上旬、皆様はお元気にしていますか。
そういえば、もうすぐバレンタインという一大イベントがやってくるらしいが、このイベントは意中の相手がいる女子が心を込めて、作ったチョコレートをほほを赤らめながら「義理じゃないんだからねッ!!」なんてツンデレな感じで渡すイベントであると僕なんかは記憶している。
「義理チョコなんていらないぜ!!」
そうカッコよくいったつもりになっている男性諸君、身の程を知ってほしい。
そんなカッコいことを言おうがそんなスタンスでは誰も貴様には、いやあなた様にはチョコレートなんて渡さないであろう。
詳しくはまたバレンタインの時にでも書きたいと思うが、義理チョコをもらえる人間というのは人間関係を構築する術に長けている人物であると思う。
なぜなら、義理チョコをあげるにもお金というものはかかる。
そのお金をあなたに使ってもよいか。
そうやって、女子たちは考えているのではないだろうか。
本当にここらへんのことに関してはバレンタインの時に書くことにしよう。
誰にもチョコレートをもらえないであろう僕がチョコレートを渡し渡されるカップルやカップル未満のち幸せな風景をしり目につらつらとあることないこと、書きなぐってやろうかと思うのだ。
まあ長々とバレンタインが始まる前にバレンタインの話をしても、バレンタインと縁のない男性諸君、好きな男性がいない淑女の皆様からしたら興ざめであろうからここらへんでバレンタインの話は終わることにしよう。
といったわけで今日は渋谷のとあるカフェについてなぜか無性に書きたくなったのでブログを久しぶりに書いてみることにするのだ。
人間関係
なんて秀逸なネーミングセンスであろうか。
渋谷に行く用事があるとあいま時間でふらふらと引き寄せられては仕事をしているカフェの名前である。
ただただみんな一回行ってみてほしい。
人間関係に悩んだときに行くもよし。
ふらーっと立ち寄るもよし。
それよりも周りの人間関係を見るのにもってこいの場所であることは間違いない。
恋愛相談をする人たち。
野球の話をする人たち。
学校だりーとか言いながら話す人たち。
熱い話をする人たち。
いろんな人たちの人間関係がそこには転がっているのである。
こう考えてみるといろんなお店に入って人のことをみるのが少しだけ楽しくなってくる。
今日もふらーっといってみようかな。
濡れて、尖って、ありがとうというおはなし
「感謝」ということについて書いていこう。
以前ブログの末尾でそのようにお伝えしたかと思う。
そう今、僕は猛烈に「感謝」したくてたまらないのだ!
感謝したいというのは押しつけがましいかもしれないが以前よりもいろいろなことに「感謝」するようになったと思う。
僕が上京したての頃は今よりももっともっと尖っていた。
もうとげとげであった。
スーパーマリオブラザーズに出てくるトゲゾーの如く、踏もうとしてくる人のライフを削っていくような棘を体中に帯びていた。
そして何に対しても噛みついていたようなそんな若造だったように思う。
そんな上京してからの僕を知る人からすると最近の僕は丸くなったようだ。
もうマリオ64のワンワンのようにいろいろなものに噛みつかなくなったし、トゲゾーのような棘はなく地下のステージに出てくるメットのように甲羅がつるつるなのである。
それもこれも、東京に来てから自分一人では何もできないということに気づいてしまったからであると思う。
誰かに手を差し伸べられて、僕は生きているのだなと一人暮らしをするようになってから、そして色々なことに挑戦するようになってから気づくようになったのである。
みんなに支えられて、岸本学という人間は生きていくことが出来るのだと深く痛感した。
だから、今まで出会ってくれた皆様に僕は心のそこから感謝したい。
尖がっていた僕を見放さずに、見守ってくれた皆様に精一杯ありがとうと伝えたいのだ。
恥ずかしいことをつらつらと書いているが僕が今日ここで伝えたい感謝というのは今言ったようにそんな大それた感謝ではないのである。
もう3年くらいになるだろうか。
僕は一冊の本を本棚の奥深くに買ったはいいが読まずにしまっていた。
読みたくて買ったのに読むタイミングがなかったのか。それとも読むことが憚られたのか。なぜかは詳しく覚えていないが読む機会を見失ってしまったのだ。
そうしているうちに、その本を買ったことさえも記憶の彼方に消し去られ、先日部屋の掃除をしているときに久しぶりにその本を見つけた。
いい機会だと思ってその本を読むことにしてみた。
その本にはこう書かれていた。
「毎日、感謝しながら靴を磨きなさい」と
僕はその一節を読んだ夜、猛烈に感謝しながら靴を磨いたのを覚えている。
自分の商売道具を磨かないのはなぜだとその登場人物は問う。
そうだ、鼻の長いゾウが問うのだ。
(ゾウは基本的に鼻が長いのだが。)
もうわかった方もいるのではないだろうか。
僕は「夢をかなえるゾウ」を読み始めたのだ。
そして、靴を磨き始めたのだ。
靴を磨くという日常がない方からしたらなんだそれはと思うかもしれないが一度、やってみてほしい。
なんでこんなにお前は汚れているのだ。
こんな僕ですら毎日、風呂に入っているのになぜこうもお前は風呂にも入らず、シャワーも浴びず、なんなら濡れたタオルで体を拭くこともせずにどろだらけになっているのかと思うことであろう。
靴を磨き始めてから、自分の持っているものに責任を持つという感覚が少し身体の中にしっくりと馴染んできた気がする。
責任をもって自分が買ったもの、もらったものすべての道具に愛着を注いで感謝していこうと思う次第である。
いつも僕を遠くの町まで連れ出してくれる靴に今日も感謝しながら濡れたタオルでふきふきしたいと思う。
フレンドと国民とめくるめく毎日のおはなし
明日、絶対書く!!
と言って何日が経ったろうか。
めくるめく毎日が華やか過ぎて僕にとっては思い立った日が明日のようなものだ。
いや、決して言い訳をしているのではない。
明日といえば次の日だと紳士淑女の皆様はお思いであろう。
しかし、明日というのは今生きている時間の連続の延長線上にあるのである。
つまり、僕がめくるめく華やかな毎日を過ごしている間にいつの間にか今日という明日が来ていたのである。
そうだ、明日という考えはもうやめようではないか。
いつも今を生きていたいのだ。
今この瞬間が華やかなものであればいいのだ。
もしかしたら、それは華やかな今ではないかもしれないが、その今が輝いて入ればいいのだ。
未来など不確定なものを信じるのではなく今生きているこの瞬間を信じようではないか!!
と僕は自問自答し始めているのはお分かりだろう。
ここで一つ言わしてほしい。
・・・
・・・・・・
申し訳ない!!!
いや、明日だよ。明日って書いたのよ。
何が明日は今という延長線上にあるから明日の概念を無くせだよ!
いや、明日はどう足掻いても明日だよ!!
明日という概念はなくならへんわ!!!
少しばかり、取り乱してしまったようだ。
僕としたことが恥ずかしい姿を紳士淑女の皆様にお見せしてしまった。
恐らく、僕のブログを読んでくださっている人が紳士淑女である可能性は低い。
なぜなら、こんなたわいもないブログを呼んでくれるなんてそんな物好きで最高な皆様を紳士淑女というのは違うかもしれない。
敬意を表してむしろフレンドと呼ぼうではないか。
よっ!!フレンドの皆様('ω')ノ
・・・
違う。これは違う。
おすぎとピーコくらい違う。
関係各所からクレームが入ってきそうな似顔絵である。
これはおすぎ風の人とピーコ風の人ということで処理しようと思う。
とういわけでいい呼び方はないものだろうか。
いいのだよ。紳士淑女のままでも。
しかし、オリジナリティのある呼び方をしてみたいものである。
田村ゆかりがファンの皆様のことを「国民」というくらいオリジナリティのある呼び方をしたい!!
そんなことを自問自答しながら今日のブログはここらへんで終わりである。
皆様、よい呼び方があればどしどし募集している。
よろしくお願い申し上げます。
そして、次回は真面目に感謝ということについて書こうと思うのである。
それではアディオス!!!