ロックと危ない奴と前前前世のおはなし
人は思ったより見るもの、聴くもの、知るものをジャンル分けして生きている。
最近、僕はRADWIMPS「前前前世」を無性に聴きたくなるのだ。
こんなことは今までにはなかった。
中学高校、僕の青春と呼ばれる時代はむしろRADWIMPSなんて嫌いだった。
なんだあの中二病っぽい音楽なんて思って聴かぬふりをしていたものである。
僕が汗水たらしてクラブ活動(サッカーであるが)に励んでいた時期はコブクロが好きだった。
今の僕からしたら考えられないほどバラード調の音楽に傾聴していた。
いつからだろう。恐らく、受験勉強を始めたころだったであろうか。
ONE OK ROCKが無性に好きになってひたすら「努努」を貪るように聴いていた記憶がある。
そこからロックやパンクと言われる音楽しか聴かなくなった。
BACK HORN
銀杏ボーイズ
高橋優
マスミサイル
そういったロックのカッコいい人たちが僕の人生の大部分を占めていた。
このころの僕はロック至上主義でロックというものこそが音楽である。
そう思って公園のベンチなんかでイヤホンを耳に差し込んで、ロックカッコいいと一人でほくそ笑んでいたものである。
今思えば、相当危ない奴である。
一人ぼっちでニヤニヤしてていいのは小さな子供くらいである。
大人が思い出し笑いなんかしようものなら、今の世の中は思いのほか厳しい態度で罵詈雑言や陰口なんかを浴びせてくる。
僕は大人こそニヤニヤして生きていくべきものであると思っているのに。
世の中のそういった態度はなんだか納得がいかない。
これが人が思いのほかやってしまうジャンル分けというやつなのであろう。
まず、「自分」と「それ以外の人間」というジャンルがある。
そこから「自分が好きな人」「自分が嫌いな人」「どうでもいい人」
というジャンルが出来上がってくる。
ここから幾重にもジャンル分けというものは派生して一個人でしかわからないカテゴリーの分類が繰り広げられる。
その中に「公園で一人ぼっちでほくそ笑むやつは危ない人間」というジャンルも存在するのである。
実際、危ない人間であるかどうかなんて、直接話してみないとわからないものである。
僕なんて「公園で一人ぼっちでほくそ笑んでいる」が至って、「善良な市民」であるという謎の自負がある。
しかし、世の中が決めたジャンルや個人が決めたジャンルに当てはめてカテゴリー分けをしてしまえば「未分類」というジャンルがなくなる。
以前、書いたことがあるが「人間はわからないということが一番怖い」のだ。
だからわからないことに対して、幽霊だ、妖怪だ、宇宙人だなどと自分の中でわかったつもりであるカテゴリーの中に当てはめる。
音楽にしてもそうだ、僕はRADWIMPSというのはどこか「中二病」っぽい音楽として青春時代はカテゴライズして生きてきた。
だから「中二病」であるということが恥ずかしかった僕からしたら近づきたくない存在であった。
しかし、大人になってそのカテゴリーを取っ払ってみるとこんなにも毎日のように聴きたくなるものなのだ。
おそらく、僕の中で「RADWIMPS=中二病」というジャンル分けがなくなったのであると思う。
こうしてジャンル分けすることで安心して過ごせる自分がいるわけだが、実際そのものをよく知りもしないで自分の中にあるジャンルに当てはめてはいないだろうか。
人も音楽もちゃんと向き合ってみると自分の中にすっと入ってくるものであるかもしれないのに、ジャンルという壁に阻まれて自分の元へ歩いてこれないだけかもしれない。
ジャンルではなくそのものの価値をしかと見極めたい今日この頃なのである。
このわんこはマルボロというジャンルに分類されている。