疑問と不安と妖怪などのおはなし
なぜこんなことをしているのか?
なぜあの人はああなのだろう?
なぜ僕はこんな人間なのか?
なぜアスファルトは黒なのか?
なぜ空は青いのか?
「なぜ」と思うことを最近、すごく大事にするようになったと思う。
なぜというのは疑問を抱いていることに他ならない。
昔、何かの本で読んだことがある。
「わからないことがあると不安だから、人間というやつはわかった気になるのだ」と
確かに、わからないというのは不安である。
得体の知れないものに恐怖心を抱くのは人として正常である証かも知れないなと思うほどである。
得体がしれないから、それが幽霊であり、宇宙人であり、妖怪と形容されるのだ。
得体がしれないから、何か自分が認識出来る言葉としてその現象を形容したいのだ。
なぜというやつは厄介である。
なぜというやつが頭の中をぐるぐると徘徊しているだけで気になって眠りにつくことすら許されないのだ。
しかし、なぜを不安がり、なぜを遠ざけるのは得策でないような気がするのだ。
不安を甘受出来るくらいの度量を兼ね備えた人間になりたいものである。
とどのつまり、なぜという状況を楽しんでいこうと思うのである。
なぜ、Finやおわりという文字よりもおしまいという文字の方が僕の中にすっと入ってくるのかを考えながら寝ることにする。
おしまい