毛なし暮らし

毛なし暮らしな生活

孤独な闘いだとトムソーヤ少年は呟いたお話

ブログというのは孤独な闘いであると1月にトムソーヤ少年が呟いた。

 

この中にこのブログを読んでいる方はいらっしゃいますでしょうか?

まるでこの中にお医者さんはいませんか?

といる確率が低いであろうエコノミークラスでひたすらお医者様を探し続けるようだ。

そう、孤独な戦いである。

 

果たして、こんな記事を読んでくれている人がいるのであろうか。

はたまた、誰も読んでくれていないのであろうか。

そんな自問自答を抱えながら、日々脳内に分泌されたドーパミンの如く、僕の頭の興奮の渦中にいる言葉たちを無為所得に書き綴るのである。

 

 

ここでいう無為所得とはだらだら働きもせずに暮らすことという意味であるが、僕は働いていないわけではない。

ただ、なんとなく。ほんとなくとなく難しい言葉を使いたい病なのである。

 

 

合コンにいけばあえてビジネス用語を使って話して自分のことを賢く見せようとするメンズたちは勝負と言わんばかりに清楚な格好を身にまとった女子たちに嫌厭される羽目になることは自明の事実であろう。

 

しかし、僕のそれとは少し違う。

 

 

日本語が略され「めっちゃ」という言葉が「め」という表記に変わり、「めっちゃ可愛い」のことを「めっかわ」というヤングピープル世代に対抗すべく、白羽の矢が立てられたのだ。

 

 

 

わかりやすいように言い換えると

 

 

日本語いいね

熟語カッコいい

四文字熟語はもっとカッコいい

(もしかしたらモテる?)

難しい言葉を使いたい病

 

 

といういかにも単細胞らしい現代に生きる幾多の悩みを抱える現代人とは程遠い単純明快な図式が出来上がる。

 

 

とはいっても言葉を略すという行為に対して「警笛を鳴らす」つもりは毛頭ない。

 

 

 

ただ、僕は難しい言葉を使いたいという一個人の欲望がそうさせるのだ。

さらには難しい言葉を使うことでもう少しモテる大人になるかもしれないという不純な下心が渦巻いているのである。

 

 

先ほど合コンに行ってビジネス用語を使う男性諸君とは少し違うといったがやはり僕の中にも

 

 

結局、下心が渦巻いているのである。

 

 

これは男の性ともいうべきであろうか。

 

 

しかし、この性に負けることなく言葉と向き合わねばならない。

 

 

なぜならブログを見ている人がいなくともブログを書き続けるという一見矛盾したようで本当に生産性のない業を背負って生まれた来たのである。

 

生まれた時からというのはちょっとばかり言いすぎたかもしれない。

正確には、ブログを書こうと思い立った去年のクリスマスあたりからだ。

 

その頃から僕にはカルマが付きまとうようになった。

カルマは付きまとわない。

カルマは背負うものである。

因縁を背負って生きていかなければならない。

 

しかしこの業を断ち切ることは思いのほか簡単である。

ただ、ブログをやめればいいのだから。

しかし!!僕のカルマがそうはさせてくれない。

 

 

くそぅ!!カルマの奴め!!

 

 

 

お分かりだろうか、後半はもうただただカルマが言いたいだけの病にかかってしまったようである。

 

 

 

だってカルマって言いたくなるんだもん!

そんなことを僕の中にいるトムソーヤ少年が囁いてくる。

本当にふざけた話である。

 

 

こんなブログを読んでくれている人がいれば、あなたは僕にとっては神のような存在である。

これからもこの支離滅裂な文章を読み進めていただけるとありがたい。

そして、SNSなんかで拡散していただけると天にも昇りそうな気持ちで僕は一日を過ごせることとなるだろう。

 

 

いつもお付き合いいただき、本当にありがとうございます。

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