毛なし暮らし

毛なし暮らしな生活

おもんぱかる。今年は特におもんぱかる。

正月も箱根駅伝のランナーのように足早に僕の立つ場所から過ぎさり、そろそろ東京に戻ろうかと考えながら、実家のオカンが温めてくれた布団の中で筆をとる。

 

 

毎年、目標らしい目標というものは漠然と立て、川辺に漂うビニール袋みたいにふわふわと陽気にただよっている。

 

 

毎年毎年思うのだが、常に目標の中に「チャレンジ」を暗に意味するような言葉を用いることが好きだということに26歳の僕は先ほど気づいた。

 

 

ある時は「虎穴に入らずんば虎子を得ず」

と題打ってその一年間はひたすらやったことのないこと、やりたいことに臆せず飛び込んで行っていた。

 

 

そうして、いつも通り虎に狩られて返ってくるのが僕なのだがそれはそれでいいではないか。

そのように思ってしまうものであるから、挑戦するということを今年も目標にするのは果たしていかがなものであるか。

 

 

目標にせずとも何かしら挑戦をしていないことなんて生きていればないのではないだろうか?

 

 

そんな結論に至ったのだ。

 

 

今年はどんな目標を立てようか。

悩みに悩んで結局、決まらないま1日が過ぎ去って行く。

そんなことにならないのが適当に生きている僕の少しばかり誇らしくなる良さでもあると自負している。

 

であるからして、思いついたら決めてしまう後先考えない厄介な性格なもので今、布団の中でこの文字たちを起こしながら考えて、目標が決まった。

 

 

 

 

実直に慮る。

じっちょくにおもんぱかる。

jittyokuniomonpakaru

 

 

 

 

そう、誠実に焦らず真面目に周りの状況をよく考えて生きたいと思う。

 

 

 

 

なんだか今日はやけに真面目に文字に起こしているのは気のせいだろうか。

 

 

 

 

真面目ばかりもつまらないので僕の悪さが際立つ写真でもここで披露させていただこうと思う。

 

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これはおばあちゃんの手を繋いで散歩をするといういい孫を完璧に演じきっている時の写真である。

どうだろう?この写真を見ていい孫に見えてくるであろう。

 

 

ここで見誤ってはいけない。

 

 

僕はとんでもなく悪い奴である!!

 

どれくらい悪いかというと上野公園の鳩なんかは僕が通るだけで逃げていく。

それくらい僕は恐れられる悪党なのだ。

 

わかったであろう。僕が完璧に良い孫を演じていることが。

 

 

しかし、本音を言えば来年もこうしてばあちゃんと手を繋いで散歩でもしてあげたいものである。

 

そんな儚い思いを抱え、僕は明日の夜に大阪を立とうと思うのである。

 

 

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誠実に自分の一歩で生きていく年にする予定である。